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【コード雑学】音楽理論エッセイ・アンチフレーズ派

アンチ・フレーズ派とは何だろう? 2020/1/10掲載

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フレーズというものでインプロを括りたくない人、いるでしょう。だって即興演奏なんだから、定型句みたいなものを繋ぎ合わせて「即興やってます」なんて恥ずかしくて言えない。結局それでは譜面に書かないだけの決まり文句に過ぎず、とても即興演奏とは呼べない代物でしかない。

でも、じゃ、フレーズ以外の方法には定型句のような見え透いた決まり文句は無いのか?
アンチ・フレーズ派としては、これは永遠のテーマだ。

フレーズを否定してはいるものの、演奏中に次々と出て来るメロディーには、フレーズのような決まり文句が全く無いとは言えない。メロディーをまとめる時、メロディーを始める時、そこにはフレーズでは無いけれど、自分の一種の方程式のようなメロディーの動きがある。それを冷静に分析すると、その方程式はコード進行によって生まれる一種のガイドラインから得る語法のように感じる。
そこにはフレーズで演奏を考える人とは明らかに異なる傾向が見られる。

II-V(ツー・ファイブ)の排除だ。

例えば、The Girl from Ipanema のブリッヂが苦手という人と、そのブリッヂが得意な人とに分かれる事実がある。
僕は初めて演奏した時からこのブリッヂが大好きで、それは自分がそのコードの流れに沿って演奏するのが楽しかった、という単純な理由だ。楽しいというのはいろんな意味があるけれど、GbMaj7の次のB7(#11)になった時の驚き! F#m7からD7(#11)に進んだ色彩の変化! Gm7からEb7(#11)に進んだ時のスリル!! 全てが澱んでモノトーンに聞こえるAm7(実はIIIm7)、反転したようなD7(#11)、平穏なGm7から強い変異を示すC7(#11)・・・・。
こんな事を感じながら演奏している。
その刺激がコードのサウンドにある、というのがアンチ・フレーズ派の特徴(かもしれない)と思う。
つまり、曲のサウンドを常に景色として感じている。
なので、ブルースというものがすこぶる苦手。
フレーズ派の人には信じられないことが実際にあるのだ。

これを得手、不得手、と勘違いする人がいるが、そこを平らにしてしまうと個性を失いブラックホールに突入してしまう。せっかく同じ曲を演奏しても、全く異なる感情を伴って演奏しているのだから、その点は広い視野で捉えた方がいい。いろんな表現があってこそ音楽だと思う。

さて、アンチ・フレーズ派の視点からこの世界に踏み込んで、これまでに二つの曲で僕は大きなショックを受けた。

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スタン・ゲッツのアルバム、『GETZ AU GO GO』

まだコードの勉強も途中の頃に、このアルバムで演奏されているスタンダード、“Here’s That Rainy Day”。これがまず一曲目。
スタン・ゲッツのアルバム以外でもゲイリー・バートンのステファン・グラッペリーをゲストに迎えた『PARIS ENCOUNTER』(1969年録音)でも演奏されていて、ゲッツのアルバムよりも先の中学時代にこちらのアルバムを聴いてこの曲が気に入っていた。それでこの世界で演奏して仕事をする時になって、スタンダードなら、とこの曲の譜面(採譜)を持って本番に臨んだところ、「これは違うからこっちでやろう」と、全く異なる(いや、ホントに同じ曲とは思えない)譜面が回ってきてすっかり気持ちが萎えてしまったのです。

Keyを揃えてその二つを並べてみましょう。

一般的なHere’s That Rainy Day

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僕が知っていたHere’s That Rainy Day

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一目瞭然で違いがわかるでしょう。
メロディーは全く同一ながら、一般的なHere’s That Rainy Dayは明るい色彩のする曲、僕が知っていたHere’s That Rainy Dayは暗い出だしからドラマチックに変化する曲。何が違うって、コードが違ってたのです。

このスタン・ゲッツのバージョンはゲイリー・バートンが在団中にアレンジしたもので、1981年に来日したゲイリー・バートンがマリンバの安倍圭子先生宅に遊びにきた時に、初めての接近遭遇でコード進行を教えてもらったのと、アレンジについて簡単に説明してもらった経緯があるのです。(ゲイリーはその事を覚えていないようでしたが、引退公演の時にその時の記事が載った米・PMSの機関誌をカラーコピーして渡したら目を細めていました)

同じようにもう一曲のショックは、これもスタンダードの有名曲“Stella by Starlight”。
これも中学時代からの愛聴盤、マイルス・デイビスの『MY FUNNY VALENTINE』のStella by Starlight(あの、イェーおじさんの叫び声が入ったテイクで有名な)。

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マイルス・デイビスの『MY FUNNY VALENTINE』

これもこの世界で仕事をする時になって「何か知ってる曲は?」と問われて勇んで演奏しようとイントロ(レコードでハービー・ハンコックが弾いている)をルバートで弾くものの、誰も出て来ない!? おかしいと思って再度弾くものの誰も出て来ない・・・。業を煮やしているとリーダーがワーン、ツー、ワン、ツー、スリーとカウントしてミディアム・テンポで曲が始まったものの、これが全く異なる雰囲気。また、コードも微妙に異なる。

一般的なStella by Starlight

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僕が知っていたStella by Starlight、テンポは一般的なミディアムの半分のバラードになる

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コード進行とテンポで見えていた景色が、一般的な演奏になると全く消えてしまうのがとてもショックだった。
後になって僕が知っているバージョンがバリエーションなのだと知ったが、今でも一般的なやり方では演奏したくない。

さて、Here’s That Rainy Day。

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これは対位法(カウンターポイント)を使ってコードをリハモナイズしたもので、メロディーに対して半音で下行ラインを作り、そこに当てはまるコードを選択している。これ以外のコードも当てはめることができるので、ちょっと試してみると「景色」は一段と変化に富む。コードに反応する身としてはこれは面白くて仕方がない。



アンチ・フレーズ派とは何だろう?その2 2020/1/17掲載

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短い節のようなフレーズでインプロを考えない理由は一つ。
コードにインスパイアされてメロディーが浮かぶから。

それは、どんなコードでも。

たとえフリージャズのようなクラスターであっても、イメージする音が頭を過ぎります。ある音は出ている音に対する反応であり、ある音は予測して先回りした音。

さて、ここからが本質になるのですが、この反応している時って、固定ド? それとも移動ド?
どちらだと思いますか?

調性のある曲の時は移動ド、調性のない時は固定ド。
まずこの二つに分かれます。

次は調性はあるけれど、途中で転調が激しかったり、譜面も全て臨時記号で書いてあったりする場合。
これはほぼ固定ドで演奏に向かいます。

ただし、正確にいうと「音感音程」という非常に感覚的な空間(音の)の中にいる感じがします。doとかreとかでは無い世界。

テナーサキソフォン奏者のスタン・ゲッツの演奏はこれの代表だと思うのです。彼はコードに沿って忠実に演奏するのではなく、自分が事前に歩いて下調べした道(サウンドの許容範囲)の中でベストと呼べるメロディーラインを設定します。
それはアドリブによるソロというよりも、その曲の“もう一つのテーマ”とでも呼ぶべき完璧なメロディーライン。

このメロディーライン以外の音を吹かない場合すらあります。書き譜のソロという意味では無いのですが、コードに被せる第二のメロディーラインとでもいいましょうか。とにかくそれはベストなメロディーラインで、これを上回るソロがあったら聞かせてほしい、とでもいいたくなるような決まったものなのですね。
でも、ゲッツのソロにフレーズという安易な繋ぎ目はありません。

おそらく彼はコードのセオリーなど殆ど正確に理解していないと思うのです。
ところが彼は、並外れたメロディーメーカー。
元々のテーマのメロディーよりも躍動的で、魅力的なメロディーを生み出すのです。それを一体いつ編出すのか聞いてみたいものですが、想像はできます。

新しい曲が来ると、誰かチャート・リーディング(初見)の得意な演奏者にその曲のメロディーとコードを演奏させるのです。その演奏者が初見で音を出している最中にゲッツは思い浮かぶメロディーを頭の中で組み立てて行くわけです。どうしても組み立てられない場所があると、多分、そこだけ何度も演奏させるでしょう。そうやりながら、あーでも無い、こーでも無い、とメロディーを浮かべて行くのです。

そう、彼は作曲家の次に、その曲に最適なメロディーを作り上げるのです。絶対に完結させない完璧なサブ・メロディーを。

これが彼のインプロの秘密でしょう。
僕は大好きです。

そうして出来た、非の打ち所のないサブ・メロディーを、情感たっぷりの音色で肉付けするのですから聴衆は魅了されます。

楽器を演奏するなら、まずは音色が綺麗でないとどんなに凝ったフレーズを演奏してもカスにも棒にも掛からない、というのはこの事です。

なので時々冒険したくなっていつものメロディーから思い切って飛び出したとすると、あられもない姿の音が出てきて、慌てて本来の位置に戻ったりします。
そこがまた人間的でいい。

今日出した「音感音程」の代表だと思うのですね。

これはとても勇気のいることで、演奏中に「迷子」になった時に似ています。周りの音に救いを求めてはみるものの、開いた傷はあがけば足掻くほど大きくなります。スタン・ゲッツが凄いのはこの時です。なんの迷いもなくメロディー(曲のテーマ)に戻ります。全てはそこから始まっているんだ、と言わんばかりに。

もうお分かりでしょう。
ソロのルーツはメロディー・フェイクなのです。

メロディーのリズムを崩して演奏するメロディー・フェイクもあれば、メロディーには無い音を挟みながら飾り付けするメロディー・フェイクも。

ジャズの演奏は。元々がメロディー・フェイクだったはずが、いつの間にかコードに頼り切りになってしまったのです。

フレーズに頼らないで演奏するとなると、メロディー・フェイクからソロを考えてみるといいですね。そこには強引なアプローチも、無理やりねじ曲げるリハモナイズもありません。
僕は、それがスタン・ゲッツやマイルス・デイビスの演奏にはあるから好きだったのですね。

で、

僕らがフレーズに頼らないで何をガイドにしているか?
コードです。ハーモニーです。
そこから受ける刺激を、メロディーに変換しているのです。

先週、スタン・ゲッツが得意としていたスタンダードの“Here’s That Rainy Day”のリハーモナイズを紹介しました。

■原曲に近い“Here’s That Rainy Day”
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■スタン・ゲッツのバンドが演奏していた“Here’s That Rainy Day”
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スタン・ゲッツの奏法論がわかる例なので一度聞いて見るのをお勧めします。

さて、フレーズではなく、コード進行(ハーモニー)から音のイメージを広げる、ということ。

なので、一つのメロディーに対して、どのくらい冒険に満ちたコードを選ぶことが出来るのか、が演奏のボキャブラリーに直結します。

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すでにゲッツのバンドでゲイリー・バートンがリハーモナイズした時に設定したベースラインを生かして、どれだけ違う世界が生まれるか、挑戦してみましょう。

僕はこんな感じでりハーモナイズしてみました。

Db/F Edim | Ebm7 Bb7(#11)/D | F/Db Bb/C | Ab/Bb Db/Ab | → F/G

四小節だけですが、ベースのラインはそのまま、メロディーとラインを生かして。
ディミニッシュがゾクゾクすると、僕の意図したことが理解できています。
次のコードはsus4ですかね。

次は少しだけ下行のベースラインの跳躍をダイレクトにしてみました。半音よりも全音のチョイスを増やしてみたのです。

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FMaj7 Eb6 | DbMaj7 Ab/C | Eb/Bb Bb/Ab | Eb/G Fm7 | → DbMaj7

F-Eb-Dbまでは全音、C-Bb-Abも全音。G-Fも全音で次は多分Dbに落ち着く予感。

この時点で、このコード進行による新しいメロディーが浮かんでくるのです。




アンチ・フレーズ派のインプロ論 2020/1/24掲載

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スタンダードの“Here's that Rainy Day”を使ったアンチ・フレーズ的な発想でハーモニーからインスパイアされてインプロに結びつける事を書いた。
これを実践してみましょう。

冒頭の四小節で解説。
まずはメロディーとベースのカウンターラインだけ抜き出すとこのようになる。

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アンチ・フレーズ派が最初にやるのはカウンターラインに対するハーモニーの縁取り。

カウンターラインに使われていないコードスケール上の音で、コードの響きが明確に聞こえて来る音、メロディーを感じさせる音でハーモニーの流れをイメージする。

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このイメージを軸に、ハーモニーの流れを損なわない様なメロディー的な動きを試す。

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それぞれのコードサウンドのエッヂが聞こえたらチャレンジは成功。
聞こえなければ選択する音に問題があるのでよりよい響きの音を探す。

上手く行けばベースのカウンターラインが無くてもコードの流れが聞こえて来るはずで、アンチ・フレーズ派の足場作りが完成する。

このようにハーモニーのイメージを広げて行くので、コード進行に「難しい」とか「簡単」とかという感覚は生まれない。

では、先週アイデアとして掲出したメロデイーとカウンターラインを残してリハモナイズしたコード進行でも検証してみましょう。

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これをリハモナイズしてハーモニーのガイドを作ると・・・・

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ほらほら、面白い事になって来ましたよ!!



アンチ・フレーズ派のインプロ論/リズム 2020/1/31掲載

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フレーズ派とアンチ・フレーズ派の一番の違いは、コード進行に於ける組合わせに、フレーズ派は得手・不得手があるのに対して、アンチ・フレーズ派はどんなコード進行でも平気な点にある。
こう言うとアンチ・フレーズ派が有利に聞こえますが、逆にコード進行が単純であればあるほど(例えば一つだったり)、フレーズ派はもう自由自在で得意になり、アンチ・フレーズ派は苦手になってフリーに逃げる、なんてことに。互いに一長一短だけど、それを克服するのは簡単です。自分が苦手な部分を得意とする相手を知ればいいじゃないですか。

フレーズ派かアンチ・フレーズ派か、自分を知るには、ある程度傾向が出やすい曲を演奏すればわかります。
ある程度のコードによるソロが出来るレベルと仮定して、経験上この傾向がはっきりと表れるのが“The Girl from Ipanema”のブリッヂと、“Invitation”でしょう。どちらもよく知られた曲です。
二曲共、ブリッヂがスムースに演奏出来るか、暗礁に乗り上げるかで判断してみてください。暗礁に乗り上げたらフレーズ派、暗礁に乗り上げなかったらアンチ・フレーズ派。(もちろん個人差はあります)
この傾向から、ある一つの事が読み取れます。

「リズム」です。
リズムと言ってもパーカッション的なリズムの事ではなく、コードの流れ(組合わせ)が持つリズムのこと。言い換えるとコード進行的なパターンで生まれる曲が流れるリズム。
フレーズ派が好むコード進行に「ツー・ファイブ」があります。特にドミナント・コード(V7)ひとつでも済むところに、人畜無害なサブドミナント・コード(IIm7)を挿入し二つに分割して流れにリズムを付けるわけです。1小節ドミナントコードだったところが、サブドミナント2拍とドミナントコード2拍に分割されると、その流れの中で小さな「動き」が生まれます。ドミナントコード一つではアヴォイドノートがずっと存在していたものが、サブドミナントコード化する事で全ての音が自由に解放されるスペースを持ちます。これによって、小さな起承転結が生まれて、よりドミナントコードらしさが表現しやすくなるのです。そこにアヴォイドノートを上手く回避するパターンが生まれ、それが元来ひとつの性分(ドミナント機能)であったところに音程の動きによって助走とステップを齎すわけです。

ただ、、、、、

この方法での欠点は、分割によってタイムキープに曲本来の流れの半分の刻み、ダブルタイムを誘発させてしまうことです。
なので、バラードの演奏を、すぐにダブルタイムへと「分割」してしまう傾向が生まれやすくなってしまいます。
案外この事に気が付かぬままに、どんどん成長してしまうと、「分割」という刻み方からの脱却に苦労することになります。

また、「分割」と連動すると思うのが、コードの連鎖に変則的要素が入るとロストしやすくなる点です。分割が2分割を軸としているので、偶数以外のコードの連鎖になるとフレーズが当てはまらなくなる(もちろんベテランはそんな事には動じないものですが)。四拍子の曲の3小節単位の連鎖とか。
これはアンチ・フレーズ派でも苦手な人はいますから、決してフレーズ派だけの欠点ではないのですが。

アンチ・フレーズ派として演奏する時に有利なのは、拍の概念から自由に逸脱出来る事です。もちろんこれはテンポの中でのタイムキープがあっての話しです。バラードの時に、ルバートで自由に演奏する時はフレーズ派よりも圧倒的にアンチ・フレーズ派が有利です。個人的にこれまで聞いて来たレジェンド的なジャズメンで例を挙げるとすれば、テナーサックスのスタン・ゲッツと、トランペットのマイルス・デイビスが抜きん出ています。音数を増やさなくてもルバートによる表現が出来るプレーヤーはアンチ・フレーズ派とみてまず間違いないでしょう。また、楽器を習得する過程にクラシック音楽の素養があるプレーヤーもアンチ・フレーズ派とみて間違いないと思えるのです。

では、アンチ・フレーズ派が、コード進行(ハーモニーの流れ)から、どのようにメロディーを生み出すのか。
その時に、弱点である「リズム」をどのように生めばよいのか、について、先週と同じスタン・ゲッツがバラードのレパートリーとしていた“Here's that Rainy Day”を使って説明します。

“Here's that Rainy Day”スタン・ゲッツが演奏していたバージョンの冒頭
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先週はオリジナルのコード進行に加えて、メロディーとベースのカウンターラインは維持してコードをリハモナイズしてアンチ・フレーズ派らしくどんなコード進行でも対応するアイデアを提示しました。

今回は、それをどのように消化して行くか。

やり方はオリジナルの時と同じです。
まず、ベースラインに使われていないコードスケール上にある音からコードを感じさせる音を選び、自分のガイドを作ります。

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このガイドを軸としてメロディーライン的な音を選びます。その時になるべくベースラインとして使った音を避けるのがコツ。

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アンチフレーズ派は演奏する時にどの曲を聞いてもハーモニーのガイドを探します。
このガイドラインが崩れない限り、ベースラインの音を抜いても、ハーモニーの動きが聞こえて来るのです。

さて、アンチ・フレーズ派の弱点。
「リズム」というものの出し方について。

わかりやすくする為に元のオリジナルのコード進行に戻します。
まず、ガイド・ラインを作る所まで戻りましょう。

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リズムと言うと、よく誤解されるのが、例えばメロディーとしてシンコペーションを使ったり、裏拍を強調したりするのではなく、音程の跳躍で「動き」をつける、ということ。
それはむしろ音符ではなく休符かもしれません。隙間をコントロールするのがメロディーとしてのリズムと考えるのです。

ガイドラインにそのまま「動き」をつけてみましょう。
一番簡単なのは、音程の動きはそのままに、音符の時間を短くするだけ。

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これだけで“Here's that Rainy Day”という曲の中に「いること」がわかるでしょう。
一番肝心なのはそこです。
どの曲の中にいるのかがわからないような演奏は曲を無視している事になるのであまり感心しません。
そういう曲が演奏したければ「そういう曲」を書けばいいのです。

さて、バリエーションも簡単に浮かびますね。

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僕はスタン・ゲッツやマイルス・デイビスの演奏を聞いて、このやり方をみつけました。
聞くのが大好きな時代のことです。
演奏するようになると、もっと他の方法も学びましたが、一番自分でしっくりと来るのがこの方法なんですね。
フレーズという呼び方をしないのも、ここから出発してるからソロはメロディーラインと呼んでいます。

ちょっぴりスタン。ゲッツ風にしてみましょうか。最低限だけ音を足しますが、基本はこのガイドラインの音使いです。

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ニアンスを掴めば、スタン・ゲッツ風にきこえるでしょう。

ならば、リハモナイズした新たな“Here's that Rainy Day”でも出来るはずですよね。







アンチ・フレーズ派のインプロ論 変奏について 2020/2/7掲載

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最近スタバを利用すると、よくBGMに「GETZ=GILBERTO」が流れて来る。一聴して店内にスタン・ゲッツのサックスが流れると世界が変わる。アストラッド・ジルベルトやジョアン・ジルベルトの歌声よりも。アストラッドやジョアンは曲本体のテーマのメロディーを歌っているからコードの流れとともに耳に入ってくるのは自然だけど、ゲッツのソロはそれらとは違ったニアンスの旋律を奏でている。

テーマのようにコードの動きとの調和を伴うことで具体性を帯びるのではなく、一節、二節の短い自己問答を積み上げて行く。その一節がジャズの世界で言われるフレーズと見ることもできるのだが、ここにゲッツらしい仕掛けがある。メロディー・フェイクだ。メロディーと同じような音形を違う音で拾ったり、メロディーと同じリズムを違う音で奏でたり。そして、テーマとフェイクの間にある音を少しずつ組み込んで変奏へと持ち込んで行く。これをその場の閃きに任せているのではなく、すべての曲のレール(ガイド)として事前に仕込んでいる。コード楽器が事前にコード進行でCMaj7かAm7かをチェックするかのように。だから彼のメロディーの最後の音がそのコードのトライトーンに落ち着いたり、それを探ったりすることが多い。

ジャズのソロ(アドリブ)がコード進行を軸にあるのとは別に、彼のソロはまるで器楽曲の一部分であるかのような旋律からできている。これは今一度見直すべきことだと思う。

そんなにジャズのセオリーに詳しくなかったゲッツが、確実にジャズの世界の中で生き抜く方法論として持ち合わせていたセンサー。管楽器奏者であるが故に、二重、三重の横のラインを描くセンサーをより研ぎ澄ませていたのだろうと想像する。
そして何よりの武器として楽器の演奏力、つまり音色を駆使してそれらが二流、三流の代物とならないように仕上げていた。まさに器楽曲の演奏者の鏡のように。
21世紀のスタバの店内に流れる1963年のスタン・ゲッツのソロを聴きながら、もう一度ジャズのソロとはなんぞや? という想いに駆られた。

コードだけを見てパラパラと聞き覚えのあるフレーズを垂れ流すよりも、メロディーから如何に旋律を引き出すかに注目しよう。



既成曲のいい点は誰もが知っているのでソロの聴き比べができる点。ソロのイメージも浮かびやすくなる。
では、よく知られた既成曲のコード進行が大幅に変更(リハモナイズ)されていたとしたら?
最早それは既成曲ではなく新曲と同じ条件になる。
でも、原曲の香りを漂わせながらソロができれば理想的。

そんな時に、スタン・ゲッツ方式であればコードを眺めただけの演奏よりも有利。

実践してみましょう。

原曲の“Here’s that Rainey Day”(スタン・ゲッツ・バージョン)

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これをベースラインとメロディーを生かしてリハモナイズ。
別物の曲の雰囲気になる。

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前回と同様にベースラインに使われていないコードスケール上のアヴォイドノート以外で、コードの特徴を表せる音を選ぶ。必然的にコードトーンの中からのチョイスが軸となる。

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前回のリズムの項で使った用法を挿入し、今回も音の動きはそのままに休符と八分音符の動きとしてリズムを感じさせる。
ただし今回は、その休符の位置にこれらのコードのコモントーンとなる“C”を休符の代わりに挿入することで、横の流れのセンサーにブレない軸を作る。これを物差しのように据えて、コードのサウンドから逸脱しないように音程を広げて行く。

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これによってよりハーモニーの流れを明確に感じられるのがお分かりいただけると思う。